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30年間の私とアジア酪農交流会

掲載日:2012.08.22

アジア酪農交流会理事

韓国・韓京大学校教授・前総長                     

崔 一信



28年前の1994年の夏に韓国の酪農家たちを引率して来日しました。その時期は日本においてアメリカ産牛肉の輸入が自由になったときで、日本の乳牛雄仔牛の値段はひどく低下していることを現地で見て、将来韓国の酪農にも同じような状況が来る日があることを韓国の酪農家は予測することを見せました。しかし、韓国においては丁度その時期、アメリカ乳牛からBSEが発見され、その後10年以上アメリカからの牛肉の輸入ができませんでした。これは韓国の酪農家においては楽になったか毒であったかは今のところ分かりませんが、近年アメリカの牛肉の輸入自由化になった上で2011年末にはアメリカと韓国の間でFTAが妥結されました。この影響で1994年の日本と同様に乳牛雄仔牛値段が暴落して1万ウォン(約6,700円)で売っても買手がいないというのが最近の韓国の状況であります。幸に1994年の北海道に一緒だった酪農家の中ではこのような状況が韓国に来る日があると思って準備していた農家もいたと聞きました。

 30年前私が北海道に行った頃の韓国と今の韓国は滄海桑田であります。私は韓国5千年の歴史の中で今のように繁栄した時があったのだろうかと思います。何よりも戦後先進国から援助してもらった後進国の中で今援助する国になったのは韓国が唯一の国であることは何よりうれしいところであります。

 私自信も30年前は後進国である貧しい韓国の酪農研修生として初めて見る日本のすべては別世界そのものでした。そして、そのとき出会ったアジア酪農交流会の原田勇先生と黒沢勉様からは酪農が如何に国際的であるものかを学びました。今になって考え見ると何も分からなかった私に対してどんなに配慮していただいたかを分かるようになり本当に感謝の気持で一杯です。

 研修を終えて帰国した2年後、アジア酪農会の原田勇先生のお世話で酪農学園大学に2年次編入し、酪農学科で肉製品製造学を学んだ後北海道大学大学院で修士と博士号を得てから1991年帰国しました。1993年から韓京大学校酪農学科に教授として勤務していますが、2005年4月から2009年3月までは総長として私なりの大学校運営も経験する期間もありました。この時一番私の力になったのは10年間日本で学び経験したことでした。特に私が念頭においたことは100年も前の時代に住んだ酪農学園大学創立者黒沢酉蔵先生の三愛精神と健土健民の哲学は今もそのまま適用できることがびっくりするほど理解できました。この精神は国も時代も超える真理であることを私は確信しております。

特に黒沢先生はそのときすでにGlobalizationされた方であったと思います。総長の期間の間、私は、自分は勿論教職員や学生に海外の経験の機会を努力しました。2006年から毎年100人くらいの教職員と学生にロシア極東地方のアムル州にある本学実習農場への体験を実施しました。また、私の経験から、出きれば多くの学生に韓国より貧しい国での経験を教科に入れて毎年数10人の学生が韓国国際協力団(KOICA)を通して東南アジア、アフリカや南米で貴重な経験をさせました。そして2003年から私は自分の専門である肉加工をより発展させるには実際会社を作り、より良い製品を学生と一緒に本格的に作り販売までしてみると思いました。大学で経営する会社は何年も持たないうちに潰れるとみんな思いましたが、この会社の製品は2007年と2010年にドイツの品評会で16製品は受賞され、今は韓国の中でもっとも高級のハムやソーセージになって韓国の最高のデパートで売れています。昨年の売り上げは約20億ウォン(1億3,300万円)くらいで韓国大学の中では成功したベンチャー企業になっています。

 以上、アジア酪農交流会の皆様のご支援のお陰で30年前の貧しい国の一人の青年がここまで来ましたことをご報告致します。この恩返しは今韓国より貧しい国の若者を育てることと韓国の若者に自分だけを考えないで人を愛する三愛精神を教えることだと思います。


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