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衝撃の流れ(激しい心の動き)

掲載日:2013.08.22

アジア酪農交流会会員

                         加藤 昭平

 11月中旬になって学園長の身?の状態が良くなってきたので北広島市輪厚三愛病院に転院して、しばらく静養するからとの電話(H24.11.30)あり学園長の声は元気ではずんでいました。その他の用件で、10分位話して電話を切りました。24年12月13日PMより、加藤孝君と特殊衣料池田社長のお嬢さんと三人で、学園長の所に伺うと、非常に喜ばれ種々な話をなされて大変勉強になり、博学の深いのには吃驚驚嘆しました。

学園長を囲み写真(生前の最後の写真になるとは思いませんでした)をとり、帰る気になると、これから先生がしているリハビリテーションをして見せるからと言って服に着替え、機能回復訓練室に我々三人を連れて行き訓練をして見せてくれましたが、3人はただ吃驚するだけでした。ふだんの元気な学園長とかわらないくらいに回復した姿を見せつけられ自分等の目を疑いました。でも本当なんです。学園長は満足した様に、これだけ元気になった事を実証したかったのです。きっと!

学園長の部屋のとなりがリハビリテーション室があり環境的には恵まれていました。恐らくその気持ちの底流には学園のXマス礼拝には車椅子に乗ってでも出席して、12年度のクリスマスメッセージを自分自身で伝えたいと云う気持ちがあったと思います。(クリスマスメッセージは、亡き学園長の変りに他の人が代読したと思います。)

我々は終わりましたので(リハビリテーション)その日は帰途につきました。13日に行った時に奥様の発案で12月16にはこの病院の部屋で家族クリスマスパーティをするのだと言って非常に楽しみにしていらしたのに・・・。

12月15日に電話があり、今日から部屋に専用の電話とFAXが着いたとの知らせでした。その時、12月18日に午前10時30分位~11時30分までに学園に行くから私にも来てくれとの連絡で、正確な時間はまたFAXするとのことでした。夕方「FAX」を見たら以前「せたな」の西川君より依頼されていた。酪農学園初代宗教主任「故アーサー神塚先生」の関係資料を12月18日にわたしたいのでとの事でした。故アーサー神塚先生の追悼記念礼拝は25年3月12日にせたな町三愛塾センターか町民センターになると思います。資料集は原田先生を中心としてロングヘイラ宣教師および加藤昭平その他神塚先生と関係のあった人達でしていました。12月18日学園長が来園するについては、勿論奥様がついて医師の許可もとっての事であったのです。12月18日についての連絡FAXも最初で最後のFAXになりました。

12月16日午前7時頃南区の酪農学園大学酪農学部酪農学科1期生宮本さんより学園長の訃報の第一報が宮本さんに。「うそでしょう」といいかけました。でも現実には本当の事なのです。前文には12月11日より12月15日までの私と学園長の行動を記したのですが本当は復帰まじかと信じていたので一時は、放心状態になりました。それで、「題」は「衝撃の流れ」(激しい心の動き)としました。

私はいつも学園長を「最後の学園の生き字引ですよと、良く人々に言っておりました。昨年一月末と記憶ありますが、賀川豊彦先生の御孫の「賀川督明」(神戸賀川豊彦記念館〃長)氏が講演にこられた時、加藤孝氏と二人で講演の前夜お会いする機会があり種々雑談中に学園長の事にふれたので「学園の生き字引」ですよと加藤二人で話した事があり講演の日の書食会の時「賀川督明」さんが卒業生の方二人が学園長の事を「学園の生き字引」と言っておりましたと言ったら、書食会に参加した?は互に顔を見合わせて驚いていたそうです。その位学園にとって大切な人を失って「痛恨の極み」と言って良いと思います。

「先生」「見えざる御神の元で」「学園の行く末」を見守っていて下さい。


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